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東京地方裁判所 昭和58年(ワ)3150号 判決 1985年12月10日

原告

鹿山哲史

右禁治産者法定代理人後見人

鹿山良昭

原告

鹿山良昭

濱政子

右三名訴訟代理人弁護士

鈴木稔

被告

学校法人明治学院

右代表者理事

郷司浩平

右訴訟代理人弁護士

真鍋薫

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告鹿山哲史に対し、金六二二四万八九四七円及び内金五六五八万八九四七円に対する昭和五八年四月七日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告鹿山良昭及び原告濱政子各自に対し、金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告鹿山哲史(以下「原告哲史」という。)は、昭和三七年九月二五日出生、昭和五七年四月被告の経営する明治学院大学(以下単に「被告大学」という。)法学部法律学科に入学し勉学に励んでいた者であり、原告鹿山良昭は原告哲史の父、原告濱政子は原告哲史の母である。

(二) 被告は、教育基本法及び学校教育法に従い福音主義の基督教に基づいて教育事業を経営するため、明治学院大学、明治学院高等学校、明治学院東村山高等学校及び明治学院中学校を各設置する学校法人である。

2  原告哲史の受傷

(一) 原告哲史は、被告大学に入学後間もなくの昭和五七年四月下旬ころ、被告大学の学内に組織されている体育会所属の合気道部へ勧誘されて加入した。当時合気道部は被告大学経済学部教授で元学長の金井信一郎が部長を勤め、四一名の部員を擁し、そのうち原告哲史と同じ一年生部員は男子九名、女子五名の合計一四名であつた。

(二) 原告哲史は、合気道部へ入部後、同年五月及び六月の二ケ月間は、平日の昼休み時間及び土曜日の午後一時以降、被告大学学生部の許可を得て被告大学の学内にある大学柔道場を利用し、他の一年生部員一三名と共に専ら上級生部員から合気道の構え、基本動作の型及び腕立て、腹筋、ランニング等の体力作りの指導を受けていたが、学部試験のため同年七月中旬ころから二二日まで稽古は中止された。

(三) 合気道部は、同年七月三一日から八月一〇日までの間夏期強化合宿を行うことを計画し、右合宿に備えての事前トレーニングを、右学部試験の終了した翌日である同年七月二三日から一週間の予定で前記柔道場を利用して開始した。

(四) 同日午後零時三〇分ころ、合気道部部員のうち三七名が前記柔道場に集合し、午後零時五五分ころから稽古に入つた。稽古は、まず、午後一時二〇分ころまで、準備運動、柔軟体操として跳躍、屈伸、開脚、肩回し、腰の回転、首の運動、前屈運動、手首の運動、肘の運動等を行い、続いて、午後一時二〇分ころから午後一時三〇分ころまで、臂力の養成ⅠとⅡを、二人一組となつて、上級生が下級生を指導しながら並んで交互に行つた。

(五) 午後一時三〇分ころから合気道の基本技の一つである片手持四方投の稽古に入つた。右技にはⅠとⅡがあり、Ⅰは仕手、即ち投げる方が受手、即ち投げられる方から手をつかまれ引つ張られたときに、仕手が受手の手首を極めながら受手の側方に回転し、受手を背後に倒し投げる技であり、Ⅱは、仕手が受手から押された場合にⅠの技と同様にして受手を投げる技であるが、このⅠを分解動作、即ち本来は流動的に行われる技を、細かく流れを止めながら、技のポイントを体得させるために段階的に練習する方法で、約一〇分間、左右三本分宛各仕手及び受手となつて行つた。続いて午後一時四〇分ころから「始め」の号令で二人一組の列が並行し、一斉に片手持四方投Ⅰの右手技を本来の通し技として、最初上級生が仕手、下級生が受手となつて一五ないし二〇本位行い、その後仕手と受手を交替して同量位行い、更に左手技を右同様にして行い、午後二時ころ終了した。右片手持四方投Ⅰの稽古の間原告哲史の相手となつた指導者は、二年生で合気道二級の村木雅人であつた。

(六) 午後二時ころから、片手持四方投Ⅱを、最初分解動作により練習したうえ、通し技の練習に入つた。右片手持四方投Ⅱの稽古の間原告哲史の相手となつた指導者は、初めは前記村木雅人であつたが、途中から四年生で合気道三段の黛明洋に代わり、更にその後三年生で合気道二段の前田章伸に代わつた。そして、前田は専ら仕手となり、受手の原告哲史を通し技として投げていたが、途中原告哲史は、「左足の感覚がない。」と訴え、起き上がれなくなり、動けなくなつてしまつた。そこで前田は、それまで号令を掛けていた被告大学三年生で合気道二段の菅原識と二人で原告哲史を抱えて、道場の入口から左奥の板の間に運んで寝かせておいた。

(七) そのうち一年生部員の村山秀樹が鼻血を出して倒れ、七転八倒して暴れたので、数名で取り押え付けた。また、同じく一年生部員の谷澤昇が吐いて気持が悪くなり、練習が続けられなくなつたので、三年生部員の長谷川雅永が同人を介抱し、道場の入口から右奥隅の板の間付近に寝かせておいた。しかし、他の部員の稽古はそのまま続けられた。

(八) その後暫くしてから、合気道部主将(三段)で四年生の西倉隆一と前記黛の両名が学内の健康相談室へ行き、佐野幸子保健婦に原告哲史ら三名の様子を見てもらつたところ、救急車を呼んだ方がよいと言われ、救急車を手配した。そして午後二時三〇分ころ、到着した救急車に原告哲史を乗せ、前記黛及び被告大学学生部職員鋤柄の両名が付き添つて、午後二時五五分ころ東京都立広尾病院に原告哲史を搬入した。なお、前記村山秀樹は別の救急車で第三北品川病院へ入院し、前記谷澤昇はその後一応回復したので、自分で帰宅した。

(九) 同日午後三時ころ、原告哲史は右広尾病院脳外科で診察を受けたところ、昏睡、瞳孔散大、呼吸障害、除脳強直が既に認められ、呼吸停止寸前の状態であつたので、午後三時二二分ころより原告哲史に対し、緊急手術(開頭血腫除去術)が約五時間にわたつて行われた。手術の結果原告哲史は一命をとりとめたものの意識は回復せず、植物人間の状態となり、寝たきりの状態で前記広尾病院に入院し治療を受けていたが、回復の可能性はないということで、昭和五八年三月九日同病院を出て厚木市の七沢障害交通リハビリテーション病院へ転院した。そして同所で約三ケ月間家族が二四時間看護で付き添い、看護の仕方を修得し、その後原告哲史を家庭へ連れ戻して同人が死亡するまで家族が二四時間看護することになつた。

(一〇) 原告が前記七月二三日の稽古で指導を受けた技である片手持四方投は、受手が必ず後ろ向きに倒されて後頭部を強く打つものであつて、原告哲史は右技の受手として投げ倒されていた際に後頭部を強く打つて脳内出血を起こしたものである。そして原告哲史が脳内出血のため「左足の感覚がない。」と訴えたにもかかわらず、上級生部員において直ちに救急車を手配しないで原告哲史を放置して練習を続けたため、原告哲史は脳内出血量が多くなり(前記手術により除去された脳内出血量は約二〇〇ccあり、出血量は一時間一〇〇ccが限度とされているところからすると、かなり前から脳内出血が始まつていたことがわかる。)、前記手術を施すも意識の回復が不可能となるに至つたのである。

(一一) 原告哲史は前記傷害により右上下肢完全麻痺、体幹機能障害となり、身体障害者福祉法別表中の肢体不自由(第一級)に該当するものと認められ、労働能力を完全に喪失するに至つた。

3  被告の責任

(一) 原告哲史と被告との間には在学契約が成立しており、被告は、右在学契約に基づき、その教育活動において学生である原告哲史の生命身体に対する安全を配慮すべき義務を負うものと解される。

(二) ところで、原告哲史の受傷は、被告大学の学内に組織された体育会に所属する合気道部の稽古中に惹起されたものであつて、被告大学の正課中の事故ではないが、被告は、学生の募集に当たつて配布する入学案内において、被告の行う教育活動のうちに体育会の存在することを明示したうえ、積極的に参加するよう呼び掛けていること、体育会等についての説明及び入会勧誘の行われる「入学式及び入学オリエンテーション」への出席を要求していること、被告大学学則に基づき、体育会活動等の課外活動費を校納金として、体育会への加入意思の有無を問わずに全学生から徴収し、これを体育会所属の各部に配分交付し、体育館その他の施設等を使用させていること、体育会所属の各部の部長又は顧問には被告大学の教員が就任していること、被告がその賛助会員大学となつて加入受付事務等を行つている学生教育研究災害傷害保険は、課外活動中の事故をも正課中及び学校行事中と同様に保険給付の対象としており、被告も右事情を知悉していること、以上のところから明らかなとおり、被告は、体育会等の課外活動をも、被告の行う教育活動の一環として正式に承認したうえ、これを積極的に奨励しているのであるから、被告は、課外活動においても、正課と同様、学生が生命、身体等の危険を受けることなく安全に教育等を受けるよう充分配慮し、これに応じた措置をする義務があるというべきである。

(三) これを合気道部についていえば、合気道は、その動きが常に半身の構えから出発し、相手が正面から攻撃しようとする線をはずして、相手の側面死角に入る動き、即ち入り身の動作により相手と触れた一瞬のうちに相手を倒すことに特徴があり、相手を倒す武術そのもので、その指導教授は常に事故の発生につながる危険を伴うものであるから、被告は、前記オリエンテーションの際、あるいは合気道部の活動開始時等に、安全教育、事故発生予防教育及び措置を施し、事故対策及び事故発生時の措置、対応等を指導すべき義務があり、また、合気道部部長の金井教授には、合気道の指導教授の計画及びその実施並びに指導内容の細部にわたつて事前に充分指導監督し、事故の発生を未然に防止し、事故が発生した場合は、適切な事後の措置手配等を行うようにする義務があるというべきである。殊に本件の場合、夏期強化合宿に入る前の一週間の事前トレーニングの初日に、入学早々の技量未然な一年生を高度の技能を有する上級生が指導するのであるから、金井教授は、当日の稽古を基本技能の分解動作を充分行うに留め、通し技を行うにしても技量未熟による事故が発生しないよう充分な計画、指導及び監督を行うべき義務があつたというべきである。

(四) しかるに、被告は、前記オリエンテーションにおいても、合気道部の活動開始時等においても、安全教育、事故発生予防教育及び措置を施しておらず、事故対策、事故発生時の措置、対応等についても指導していない。また、金井教授も、右(三)の指導監督義務を怠り、事故当日は稽古の場に立会つていなかつた。そのため、当日の上級生部員による指導教授が著しく注意に欠けるものとなつて原告哲史の事故が発生し(原告哲史以外にも二名の一年生部員が怪我をし、うち一名は入院している。)、しかもその後の手当、対応、措置が手遅れとなつて、原告哲史は前記2(二)の傷害を被るに至つたのである。

(五) 従つて、被告は、原告らに対し、在学契約上の安全配慮義務違反による債務不履行責任を負い(主位的請求)、仮に右安全配慮義務が肯定されないとしても、前記金井教授の使用者として、同教授の前記過失責任に基づく民法七一五条一項の責任を負う(予備的請求)。

4  損害

(一) 原告哲史の損害

(1) 逸失利益 金一八〇三万九四三八円

原告哲史は、本件事故により完全に労働能力を喪失したが、本件事故に遭わなければ満六七才に達するまでの四七年間就労可能であり、その間相当上位の収入を上げ得たものである。そして、右収入は、原告哲史の如き大学在学中の者については、短大卒又は新大卒の平均賃金とされているところ、賃金センサス昭和五六年第一巻第一表によると、短大卒の二〇才ないし二四才の月収は金一四万三七〇〇円、年間賞与等は二八万二五〇〇円、年間合計二〇〇万六五〇〇円となる。右年収から生活費五〇パーセントを控除したうえ、右就労可能年数四七年に相応するライプニッツ係数一七・九八一を乗じて計算すると、原告哲史の逸失利益は金一八〇三万九四三八円となる。

(2) 慰謝料 金一二〇〇万円

本件事故による原告哲史の精神的損害に対する慰謝料は金一二〇〇万円が相当である。

(3) 授業料 金一七万五〇〇〇円

被告は、原告哲史の前記傷害及び病状を知悉し、就学が不可能であることを承知しているにもかかわらず、昭和五七年一〇月三〇日までに後期授業料金一七万五〇〇〇円の納入を指示し、右支払のない場合は除籍する旨通告して来たので、原告哲史はやむなく右金額を被告に支払つたが、原告哲史は本件事故後現在に至るまで前記2(二)の状態にあつて全く通学していないので、右支払済授業料相当額の損害を被つた。

(4) 治療費 金一二四万七八四〇円

原告哲史の東京都立広尾病院における治療費は次のとおりである。

(イ) 昭和五七年七月二三日から同月三一日まで 金三二万八二一五円

(ロ) 同年八月一日から同月三一日まで 金三五万六四三九円

(ハ) 同年九月一日から同月三〇日まで 金一五万五二二三円

(ニ) 同年一〇月一日から同月三一日まで 金一二万二七九一円

(ホ) 同年一一月一日から同月三〇日まで 金一〇万五〇九〇円

(ヘ) 同年一二月一日から同月三一日まで 金七万一七六五円

(ト) 昭和五八年一月一日から同月三一日まで 金一〇万八三一七円

以上(イ)ないし(ト)の合計金一二四万七八四〇円

(5) 入院雑費 金五一万七五〇〇円

入院雑費として紙おむつ代一日金五五〇円、洗濯代一日金七〇〇円、その他一日金一〇〇〇円合計一日当たり金二二五〇円を要するところ、原告哲史は、昭和五七年七月二三日から昭和五八年三月九日まで二九〇日間入院していたので、合計金五一万七五〇〇円の入院雑費を負担した。

(6) 入院付添費 金八〇万五〇〇〇円

原告哲史の父母及び妹二人等が毎日病院に通い、原告哲史に付き添つているが、右付添費は一日当たり金三五〇〇円相当であるから、原告哲史の入院期間中(二九〇日間)の付添費は合計金八〇万五〇〇〇円相当である。

(7) 介護料 金二三八〇万四一六九円

原告の病状が前記2(二)のとおりであるため、将来にわたつて職業付添人及び近親者による介護が毎日必要となり、右費用は一日当たり金三五〇〇円、年間金一二七万七五〇〇円に相当するところ、昭和五六年簡易生命表によれば、原告哲史の平均余命は五四・九五年であるから、将来の介護料は、右金一二七万七五〇〇円に右五四・九五年に相応するライプニッツ係数一八・六三三四を乗じた金二三八〇万四一六九円相当である。

(8) 弁護士費用 金五六六万円

右(1)ないし(7)の合計は金五六五八万八九四七円となるところ、原告哲史は本件の解決を本件原告ら訴訟代理人に依頼したので、右弁護士費用は右金額の少くとも一〇パーセントの金五六六万円が相当である。

(9) 以上(1)ないし(8)の合計金六二二四万八九四七円

(二) 原告鹿山良昭及び原告濱政子の損害

(1) 慰謝料 各自金五〇〇万円

本件事故により、受傷者原告哲史の父である原告鹿山良昭及び原告哲史の母である濱政子は、原告哲史が死亡したときにも比肩し得べき精神上の苦痛を受け、これに対する慰謝料は各自金五〇〇万円が相当である。

(2) 弁護士費用 各自金五〇万円

原告鹿山良昭及び原告濱政子は、本件の解決を本件原告ら訴訟代理人に依頼したので、右弁護士費用は各自金五〇万円が相当である。

(3) 以上(1)(2)の合計各自金五五〇万円

5  よつて、原告哲史は、被告に対し、金六二二四万八九四七円及び内金五六五八万八九四七円に対する昭和五八年四月七日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、原告鹿山良昭及び原告濱政子は、被告に対し、各自金五五〇万円及び内金五〇〇万円に対する右同日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、それぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1について

同1(一)及び(二)の各事実は認める。

2  請求原因2について

(一) 同2(一)の事実は認める。

(二) 同2(二)のうち、被告大学学生部の許可を得て被告大学の学内にある大学柔道場を利用していた事実を争い、その余の事実は認める。右大学柔道場は、被告の所有するものであるが、その利用は、体育会をはじめとする課外活動四団体の自主的運営に任せられている。

(三) 同2(三)の事実は認める。ただし、昭和五七年七月二三日から開始した合気道部のトレーニングは同部の自主トレーニングである。

(四) 同2(四)の事実は認める。

(五) 同2(五)のうち、片手持四方投Ⅰの稽古の間原告哲史の相手となつた指導者が村木雅人であつた事実を争い、その余の事実は認める。村木雅人は片手持四方投の稽古の間一部原告哲史の相手となつたにすぎない。

(六) 同2(六)のうち、片手持四方投Ⅱの稽古の間原告哲史の相手となつた指導者が、初めは村木雅人で、途中から黛明洋に代わり、更にその後前田章伸に代わつた事実を争い、その余の事実は認める。村木雅人は、片手持四方投Ⅱのときは原告哲史の相手となつておらず、黛明洋が当初受手として原告哲史の相手をし、ついで、前田章伸が仕手として原告哲史の相手をした。なお、原告哲史が前田に「左足の感覚がない。」と訴えたのは、午後二時一〇分すぎごろである。

(七) 同2(七)のうち、村山秀樹及び谷澤昇が稽古中倒れた事実は認め、その余の事実は争う。

(八) 同2(八)の事実は、時刻の点を争い、その余は認める。東京都立広尾病院に原告哲史を搬入したのは午後二時五〇分ころである。また、村山秀樹及び谷澤昇は間もなく平常に復した。

(九) 同2(九)のうち、原告哲史が昭和五八年三月九日前記広尾病院を出て七沢障害交通リハビリテーション病院へ転院した事実は認め、その余の事実は不知。

(一〇) 同2(一〇)のうち、片手持四方投は受手が必ず後ろ向きに倒され、後頭部を強く打つものであるとの点及び原告哲史が「左足の感覚がない。」と訴えたにもかかわらず、上級生部員において直ちに救急車を手配しないで原告哲史を放置して練習を続けた事実を否認し、その余の事実は不知ないし争う。原告哲史の受傷の原因が練習によるものか、原告哲史の器質によるものか明らかではない。また、上級生部員は、原告哲史が「左足の感覚がない。」と訴えるや、原告哲史を道場の隅に運び、応急手当をすると同時に健康相談室に連絡して処置を仰ぎ、佐野幸子保健婦の指示に従つて直ちに救急車を要請したのであつて、受傷後の措置も素早く行われており、いささかの遅滞も認められない。

(一一) 同2(二)の事実は不知。

3  請求原因3について

(一) 同3(一)の主張は争う。

(二) 同3(二)のうち、原告哲史の受傷が、被告大学の学内に組織された体育会に所属する合気道部の稽古中に惹起されたもので、被告大学の正課中の事故でないこと、被告が、学生の募集に当たつて配布する入学案内において、体育会の存在を紹介していること、課外活動費を校納金として全学生から徴収していること、体育会所属の各部の部長又は顧問には被告大学の教員が就任していること、被告がその賛助会員大学となつて加入受付事務等を行つている学生教育研究災害傷害保険が、課外活動中の事故をも正課中及び学校行事中と同様に保険給付の対象としていること、は認め、その余の事実及び主張は争う。

(三) 同3(三)のうち、合気道が、その動きが常に半身の構えから出発し、相手が正面から攻撃しようとする線をはずして、相手の側面死角に入る動き、即ち入り身の動作により相手と触れた一瞬のうちに相手を倒すことに特徴がある点は不知。合気道が相手を倒す武術そのもので、その指導教授は常に事故の発生につながる危険を伴うものであるとの点は否認し、その余の主張は争う。

(四) 同3(四)のうち、金井教授が事故当日稽古の場に立会つていなかつた事実を認め、その余の事実及び主張は争う。合気道部における昭和五七年四月以降の一年生部員の練習については、特に四年生部員が付き切りで、まず体力作りを訓練しつつ合気道の初歩を練習するなど、練習の方法として極めて合理的な方法を採用し、体力に応じ練度に適した練習をしており、部員において必要な安全教育等所要の対応措置を充分にとつていた。また、原告哲史の受傷した七月二三日の練習も、準備体操を十分したうえ、基本動作の型の練習を経て基本技の練習に及んだものであつて、練習自体極めて穏当かつ合理的なもので何ら無理なところが無く、上級生部員による指導教授には全く問題が無かつた。更に受傷後の措置も素早く行われており、いささかの遅滞も認められない。

(五) 同3(五)の主張は争う。

4  請求原因4について

同4(一)及び(二)の各主張は争う。

三  被告の主張

本件事故は、被告大学合気道部の稽古中に起きたものであるところ、同部は、被告大学の学生が自主的に課外活動をするため組織した課外活動四団体(体育会、愛好会、応援団及び文化団体連合会)のうちの体育会の一部であつて、その活動は、被告大学における授業課目(正課)たる保健体育課目とは異なるものである。そして、合気道部の組織、人事、運営、経理及び運動技能の指導教授については、他の課外活動団体と同様、学生のみの自主的判断に任されていて、被告はこれに一切関与していない。被告はただ、入学案内において課外活動四団体の紹介をし、右四団体の依頼によりこれに代わつて学生から課外活動費を徴収するなどして、学生による課外活動の便宜を側面から図つているに過ぎず、学生に課外活動団体への加入を強制したり課外活動費の各課外活動団体への配分過程に関与したりしている訳では決してない。

また、合気道部をはじめ体育会所属各部においては、被告大学の教員を部長ないし顧問として迎えているが、右部長ないし顧問は、部員の運動技能の指導教授はもとより部の組織、人事、運営及び経理にも一切関与せず、全く名目的な存在に過ぎない。合気道部においても、昭和五七年当時の部長であつた金井教授は、合気道に関して全く知識がなく、部の組織、人事、経理に関与することは一切なかつたばかりか、練習及び試合等の行事に関与することも一切なかつた。

従つて、右のような合気道部の課外活動団体としての自主的性格に加えて、そもそも大学が成年に達したかこれに近い思慮分別ある学生を対象として深く専門の学芸を教授研究する機関であるという大学教育の目的、性格を併せ考えると、被告には、少くとも課外活動においては、原告主張のような安全配慮義務は存在しないというべきである。また、被告にそもそも安全配慮義務が存在しないうえ、合気道部をはじめ体育会所属各部の部長ないし顧問の右のような名目的性格からすれば、金井教授にも、原告主張のような注意義務は存在しないものというべきである。

第三  証拠<省略>

理由

第一当事者

請求原因1(一)及び(二)の各事実は当事者間に争いがない。

第二原告哲史の受傷等

一原告哲史が受傷した経過

当事者間に争いのない事実並びに<証拠>により認められる事実は次のとおりであり、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1 原告哲史は、被告大学に入学後間もなくの昭和五七年四月下旬ころ、被告大学の学内に組織されている体育会所属の合気道部(被告大学における体育会及び合気道部の地位については、後記第三の二1において判示する。)へ勧誘されて加入した。当時合気道部は被告大学経済学部教授で元学長の金井信一郎が部長を勤め、四一名の部員を擁し、そのうち原告哲史と同じ一年生部員は男子九名、女子五名の合計一四名であつた(以上の事実は当事者間に争いがない。)。

2  原告哲史は、合気道部へ入部後、同年五月及び六月の二ケ月間は、平日の昼休み時間及び土曜日の午後一時以降被告大学の学内にある大学柔道場を利用し、他の一年生部員一三名と共に、四年生部員に付いて合気道の構え、基本動作の型及び腕立て、腹筋、ランニング等の体力作りの指導を受けていたが、学部試験のため同年七月中旬ころから二二日まで稽古は中止された(以上の事実は、四年生部員に付いて指導を受けていた点を除き、当事者間に争いがない。)。

3  合気道部は、同年七月三一日から八月一〇日までの間夏期強化合宿を行うことを計画し、右合宿に備えての事前トレーニングを、右学部試験の終了した翌日である同年七月二三日から一週間の予定で前記柔道場を利用して開始した。右トレーニングは、試験期間中練習を休んでいたため鈍つていた身体を合宿に備えて徐々に慣らすことを目的とした、部員による自主トレーニングであつた(以上の事実のうち、合気道部が同年七月三一日から八月一〇日までの間夏期強化合宿を行うことを計画し、右合宿に備えての事前トレーニングを学部試験の終了した翌日である七月二三日から一週間の予定で柔道場を利用して開始した事実は、当事者間に争いがない。)。

4  同日午後零時三〇分ころ、合気道部部員のうち三七名、一年生部員はその全員が前記柔道場(一二六畳敷で四周に幅約一メートルの板敷部分がある。)に集合し、午後零時五五分ころから稽古に入つた。稽古は、柔道場の畳敷の上で、まず、午後一時二〇分ころまで、準備運動、柔軟体操として跳躍、屈伸、開脚、肩回し、腰の回転、首の運動、前屈運動、手首の運動、肘の運動等を行い、続いて、午後一時二〇分ころから午後一時三〇分ころまで、臂力の養成ⅠとⅡを、二人一組となつて、上級生が下級生を指導しながら並んで交互に行つた(以上の事実は、柔道場の状況、一年生部員は全員集合したこと及び柔道場の畳敷の上で稽古を行つたことを除き、当事者間に争いがない。)。

5  午後一時三〇分ころから、合気道の基本技の一つである片手持四方投の稽古に入つた。右技にはⅠとⅡがあり、Ⅰは仕手、即ち投げる方が、受手、即ち投げられる方から手をつかまれ引つ張られたときに、仕手が受手の手首を極めながら受手の側方に回転し、受手を背後に倒し投げる技であり、Ⅱは、仕手が受手より押された場合にⅠの技と同様にして受手を投げる技であるが、このⅠを分解動作、即ち本来は流動的に行われる技を、細かく流れを止めながら、技のポイントを体得させるために段階的に練習する方法で、約一〇分間、左右三本分宛各仕手及び受手となつて行つた。続いて午後一時四〇分ころから「始め」の号令で二人一組の列が並行し、一斉に片手持四方投Ⅰの右手技を本来の通し技として、最初上級生が仕手、下級生が受手となつて一五ないし二〇本位行い、その後仕手と受手を交替して同量位行い、更に左手技を右同様にして行い、午後二時ころ終了した。右片手持四方投Ⅰの稽古の際二年生で合気道二級の村木雅人が原告哲史の相手をして指導した(以上の事実は、片手持四方投Ⅰの稽古の際原告哲史の相手をした指導者が村木雅人であつた点を除き、当事者間に争いがない。)。

6  午後二時ころから、片手持四方投Ⅱの稽古を、Ⅰと同様に、最初分解動作で、続いて通し技として行つた。通し技の稽古の際原告哲史の相手をした指導者は、最初は四年生で合気道三段の黛明洋で、同人は受手となつて五、六本行い、続いて三年生で合気道二段の前田章伸が仕手となつて、五、六本行うべく原告哲史に稽古をつけていた最中(午後二時一〇分ころ)、原告哲史は、「左足の感覚がない。」と訴え、起き上がれなくなつてしまつた。そこで、前田は、それまで号令を掛けていた三年生で合気道二段の菅原識と二人で原告哲史を抱えて、道場の入口から左奥の板の間に運んで寝かせた。そして、原告哲史が倒れたことに気付いた黛が、直ちに濡れたタオルを絞つて原告哲史の額に当ててやつた。黛が、「どうしたんだ。」と尋ねると、原告哲史は、「左足が動きません。」と普通に答えたので、黛等は、原告哲史を寝かせたまま暫く様子を見ることにした(以上の事実のうち、午後二時ころから、片手持四方投Ⅱの稽古を、最初分解動作で、続いて通し技として行つた事実、三年生で合気道二段の前田章伸が仕手となつて原告哲史を投げていた最中、原告哲史が「左足の感覚がない。」と訴え、起き上がれなくなつてしまつた事実、及び前田が、それまで号令を掛けていた三年生で合気道二段の菅原識と二人で原告哲史を抱えて、道場の入口から左奥の板の間に原告哲史を運んで寝かせた事実は、当事者間に争いがない。)。

7  すると今度は一年生部員の村山秀樹が倒れて鼻血を出したので、上級生部員が同人を道場の隅の方へ連れてきて寝かせ、前記黛が濡れたタオルで同人の鼻血を拭いて介抱した。その後暫くして一年生部員の谷澤昇が嘔吐して気分が悪くなつたので、三年生の長谷川雅永が同人を介抱し、道場の入口から右奥隅の板の間付近に寝かせておいた。他方、原告哲史、村山秀樹及び谷澤昇が倒れた後も、他の部員の稽古はそのまま続けられた(以上の事実のうち、村山秀樹及び谷澤昇が稽古中倒れた事実は、当事者間に争いがない。)。

8  原告哲史、村山秀樹及び谷澤昇には、それぞれ上級生が付いてその様子を見ていたが、原告哲史は、倒れてから一〇分位して鼾をかいて眠り出した。そして、身体をゆすつても呼名しても反応がなくなつたばかりか、失禁もみられたので、上級生部員らは、専門家に診てもらつた方がよいものと判断し、前記黛及び合気道部主将(三段)で四年生の西倉隆一の両名が、急いで被告大学内の健康相談室へ佐野幸子保健婦を呼びにゆくとともに、被告大学学生部にも連絡した。佐野保健婦は、知らせを受けるや直ちに柔道場に赴き、原告哲史らの様子をみてすぐさま救急車の手配を指示し、学生部の方で架電して救急車を呼んだ。そして午後二時三〇分ころ到着した救急車に原告哲史を乗せ、前記黛及び学生部職員鋤柄の両名が付き添つて、午後二時五〇分ころ東京都立広尾病院に原告哲史を搬入した。他方、村山秀樹は、別の救急車で第三北品川病院へ入院したが、その後回復し、谷澤昇は、その後一応回復したので、自分で帰宅した(以上の事実のうち、黛及び合気道部主将(三段)で四年生の西倉隆一の両名が被告大学内の健康相談室へ行き、佐野幸子保健婦に原告哲史らの様子を見てもらつた事実、佐野保健婦は、原告哲史らの様子をみて、救急車の手配を指示した事実、救急車に原告哲史を乗せ、黛及び学生部職員の鋤柄の両名が付き添つて東京都立広尾病院に原告哲史を搬入した事実、及び村山秀樹は別の救急車で第三北品川病院へ入院し、谷澤昇はその後一応回復したので自分で帰宅した事実、は当事者間に争いがない。)。

9  原告哲史は、入院後直ちに右広尾病院脳外科で診察を受けたが、深昏睡、両側瞳孔散大、対光反射消失、自発呼吸微弱で既に生命の危篤な状態であり、CTスキャンにより右前頭、側頭、頭頂にわたる広範な硬膜下血腫が認められ(急性硬膜下血腫)、脳の中心構造は右血腫のため右方から左方へ著明に偏位し、最も予後不良の徴候とされる脳幹周囲槽の消失が認められた(天幕切痕ヘルニア)ので、午後三時二〇分ころ原告哲史は手術室へ移され、三時五五分から午後五時二〇分まで緊急手術(開頭血腫除去術)が施行された。開頭の結果、原告哲史の脳と硬膜を連結する橋静脈二本が破綻しており、右破綻部分から出血した血腫が約一五〇グラムも存在し、右血腫による強度の脳の圧迫が認められたが、脳そのものには挫滅創はなかつた。

10  手術の結果、原告哲史は一命をとりとめたものの、術後三ケ月間は高度の意識障害が続き、その後徐々に改善傾向を示すようになつたが、寝たきりの状態であり、昭和五八年三月九日、リハビリテーションのため厚木市の七沢障害交通リハビリテーション病院へ転院したが、理学療法による改善は困難であると判断された。同年六月二三日以後原告哲史は中伊豆リハビリテーションセンターに入院してリハビリテーションを続けているが、左上下肢の完全麻痺、高度の体幹機能障害があり、座位、起立、歩行のいずれも不可能で他者の介助により生命の維持が可能な状態であつて、身体障害者福祉法別表中の肢体不自由(第一級)の認定を受けており、今後も日常生活を独力で行い得るような状態に復する可能性は殆どなく、同人の家族が二四時間看護しなければならない状態にある(以上の事実のうち、原告哲史が昭和五八年三月九日広尾病院を出て七沢障害交通リハビリテーション病院へ転院した事実は、当事者間に争いがない。)。

二原告哲史の受傷の原因

原告哲史が昭和五七年七月二三日合気道の稽古中、片手持四方投Ⅰの稽古を終え、片手持四方投Ⅱの技を受手となつて受けている最中に、左足の感覚がなくなり、動けなくなつたこと、病院で診断の結果原告哲史は、脳と硬膜とを連結する橋静脈二本が破綻して急性硬膜下血腫をひきおこし、そのため天幕切痕ヘルニアを招来したこと、は前記一において認定したとおりである。そして、<証拠>によれば、片手持四方投Ⅰ及びⅡは、受手が必ず後ろ向きに倒され、受手の受身の技量が不足している場合には後頭部を打つことの多い技であること、原告哲史の硬膜下血腫の原因となつた橋静脈の破綻は、頭に回転性の力が加わるか、又は非常に柔らかいものにバウンドするなど、後頭部に強い衝撃や外力が加わつて頭蓋骨と脳との間に前方向のずれが生じたときに起こる場合が殆どであり、症例としては柔道による受傷が非常に多いこと、例外的に小児の白血病の場合や出血性疾患を有する者の血管が自然に破綻して右のような硬膜下血腫を起こす例もあるものの、原告哲史にはかかる身体的素因は全く認められなかつたこと、更に原告哲史は橋静脈が破綻してから病院に搬入されるまでに流出した血腫が殆ど致命的な量に達していたため、手術をするも重大な後遺障害を残すことになつたのであつて、受傷後直ちに病院に搬入して手術を施しておれば何の障害も残らずに元通りに回復した可能性もあること、以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定の事実及び前記一において認定した原告哲史の受傷の経過を総合すれば、原告哲史は、片手持四方投Ⅰ又はⅡの稽古の際、受手となつて投げを受けている間に、受身が不十分であつたため柔道場の畳で後頭部を打つて橋静脈の破綻を招き、急性硬膜下血腫をひき起こし、更に病院への搬入までに若干の時間が経過したため前記一10のとおり重篤な後遺障害が残ることになつたものと認められる。

第三被告の責任

一問題の所在

原告哲史の受傷(以下「本件事故」という。)が、被告大学の学内に組織されている体育会に所属する合気道部の稽古中に起きたもので、被告大学の正課中の事故でないことは当事者間に争いがない。ところで、本訴は、右のような大学生の課外活動中の事故について大学の責任を問うものであり、原告は、責任を問い得る根拠として、主位的に被告との在学契約に基づく安全配慮義務の不履行を、予備的に本件事故当時合気道部の部長であつた被告大学教授金井信一郎の指導監督義務懈怠の過失に基づく使用者責任を主張するので、以下これらの点について検討を加える。

二被告大学における体育会及び合気道部の地位

1  <証拠>を総合すれば、以下の事実を認めることができ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

(一) 被告大学においては、社会人としての思慮ある判断により責任ある行動をとり得る豊かな人間性を育てあげるため、重要な自主的教育の側面として課外活動が認められており、学生は、被告大学学生部長へ届け出てその認可を受けることにより自由に課外活動団体を設立することができる(甲第一七号証の九)。被告大学には、右のような届出のある公認団体として体育会、愛好会、応援団及び文化団体連合会(課外活動四団体)が存在し、更に右四団体には、同じく公認団体である各種の部や研究会等の団体が所属する形になつており、合気道部も体育会に所属する公認団体の一つである。他方、被告大学には、学生の課外活動関係の事務を所掌する機関として学生部が存在し、学生部長には被告大学の教授(本件事故当時は山本普教授)が就任し、課外活動団体からの各種届出の受理や課外活動に対する援助等の事務を処理している。

(二) 被告大学は、学生の募集に当たつて配布する入学案内(甲第一五号証)において、体育会をはじめ各課外活動団体の存在を紹介しており、毎年入学式直後に、正課関係のオリエンテーションとは別に、被告大学の施設を利用して、新入生の勧誘を目的とした課外活動関係のオリエンテーションが行われている。しかし、正課関係のオリエンテーションが、被告大学教職員の主導によつて行われ、新入生はその参加を要求されているのに対し、課外活動関係のオリエンテーションは、学生が自主的に組織したオリエンテーション実行委員会がこれを企画実施し、ただ、同委員会の発行するパンフレットである「オリエンテーション・サークル・ガイド」(甲第六号証)に、被告大学学長及び学生部長が、課外活動を奨励する挨拶文を寄稿しているに過ぎない(以上の事実のうち、被告が学生の募集に当たつて配布する入学案内において体育会の存在を紹介している事実は、当事者間に争いがない。)。

(三) 体育会をはじめ課外活動四団体の意思決定機関及び執行機関等の組織構成及びその運営については、すべて学生により自主的に行われており、各団体の規約類を学生部に届け出る慣行になつているほか、被告は右各団体の組織及び運営に関与することはない。

(四) 被告が被告大学学則に基づいて授業料とは別に学生から徴収する校納金の中には課外活動費が含まれており、被告は学生から徴収した右課外活動費を課外活動四団体に交付している。また、被告大学には、外郭団体として学生の父母により保証人会が組織され、被告は、保証人会に代わつて、保証人会費を校納金として徴収し、保証人会は右会費から課外活動団体への援助を行つている。そして、右課外活動費については学生側に不払の自由はなく、右保証人会についても、事実上被告大学学生の全父母が加入することになつている。しかし、右のようにして被告及び保証人会から課外活動四団体に交付された金員の各課外活動団体への配分については、課外活動四団体が非公式の連絡会議をもつて自主的に決定し、更に右四団体に所属する各部等への配分についても、各団体、体育会の場合はその執行部において、学生が自主的に協議して決定しており、右各配分過程に被告が関与することは一切ない。また、各部においては、被告から交付される予算を超える経費については、部員から部費を徴収したり、卒業生からの援助を受けてこれを賄つている(以上の事実のうち、被告が課外活動費を校納金として全学生から徴収している事実は、当事者間に争いがない。)。

(五) 各課外活動団体の活動については、体育会所属各部の場合、学内における行事や合宿を行うときは学生部長への届出が義務付けられている(甲第一七号証の一〇)ほか、各部の練習予定を体育会執行部経由で学生部に提出する扱いになつているが、合宿や練習の内容について大学側から指導や規制を受けることは殆どなく、その活動は学生の自主的運営に任されている。また、課外活動のため被告大学の施設を利用する場合、教室の使用については学生部長の認可を受けた後教務部の許可を受けることが義務付けられている(甲第一七号証の一〇)が、体育館やグラウンド等の施設の利用については特に文書化された準則はなく、体育会所属各部の場合、正課である体育実技の授業に使用していない時間帯に限つて体育会(執行部)において協議のうえ各部間の利用方法を決定しており、各部への割当についてはある程度慣行化しつつある。

(六) 体育会所属各部においては、被告大学の教員がその部長又は顧問に就任しており、合気道部の場合も本件事故当時は被告大学経済学部教授で元学長の金井信一郎が部長に就任していた。しかし、部長の人選については、部員の間でこれを行い、部員との人的なつながり又は先輩部員からの申し送り等によつて決められることが多く、迎えられる部の運動技能についての熟達度や指導能力とは無関係に選ばれ、金井教授も合気道の経験の故に部長に選任されたという訳では決してなかつた。そして、部長又は顧問として迎えられた被告大学教員は、部の主将、副将及びマネージャー等の人事や、予算、決算等の経理をはじめ、部の行事予定や練習計画等の実質的決定には一切関与しないのみならず、部員の運動技能の指導教授にも関与することがなく、合気道部においても、部の人事、経理をはじめ練習計画や行事予定の決定は部員により自主的に行われ、金井教授がこれに実質的に関与したことは一度もなかつた。また、合気道部の普段の練習も、上級生部員が下級生部員を指導教授する先輩相伝の形で行われ、金井教授が監督の立場から部員の練習に立会つたり、自らの部員を指導教授したりしたことは一度もなく、本件事故当日も稽古の場に立会つていなかつた。ただ、合宿をはじめ合気道の主な行事予定については、部員から金井教授に通知が出され、また、同教授が部の新入生歓迎会や学園祭や合宿等の行事に出席することはあつた(以上の事実のうち、体育会所属各部の部長又は顧問には被告大学の教員が就任している事実、本件事故当時合気道部の部長に被告大学経済学部教授で元学長の金井信一郎が就任していた事実、及び金井教授が本件事故当日稽古の場に立会つていなかつた事実は、当事者間に争いがない。)。

(七) 課外活動中に予想される事故への対策については、被告大学は、大学が教育活動のために所有、使用又は管理している学校施設内における大学公認の学生団体の課外活動中の事故をも保険給付の対象としている学生教育研究災害傷害保険に関する賛助会員大学となつて、同保険への加入受付事務等を行つており(甲第二一号証)、同保険の分担金を校納金として学生から徴収している(甲第一六号証)ほか、大学構内に健康相談室を設置し、医師、保健婦及び看護婦を待機させて学生の健康相談や治療等の便宜に供しているが、事故防止等の安全教育は特に行つてはいない(以上の事実のうち、被告が課外活動中の事故をも保険給付の対象としている学生教育研究災害保険に関する賛助会員大学となつて同保険への加入受付事務等を行つている事実は、当事者間に争いがない。)。

2  右認定の事実によれば、合気道部の活動をはじめ被告大学における課外活動は、被告大学の学生を主体とする自主的活動であつて、課外活動団体の設立からその組織、人事、経理及び運動技能の指導教授等の個々の活動に至るまですべて学生により自主的に行われており、被告は、このような課外活動を、それが学生の豊かな人間性の育成に貢献するという観点から、広い意味での教育活動の一環として位置付け、学生に広く活動の機会を提供するとともに、課外活動における学生の主体性及び活動の自主性を最大限尊重しつつ、主として財政面及び施設面等の側面から学生による自主的活動を補助し、その便宜を図つているに過ぎないものと認めるのが相当であり、被告に対する各種届出も、被告の課外活動に対する右のような補助的活動をより効果的に行うため、学生による課外活動の実態を把握する以上に特段の意味を有しないものと認められる。また、金井教授をはじめとする体育会所属各部の部長及び顧問の地位も、およそ指導者ないし監督者としての実体を備えない、単なる名目的象徴的なものに過ぎないものと認められる。

三課外活動における被告の安全配慮義務

原告哲史と被告との間には、遅くとも原告哲史が被告大学への入学手続を済ませた時点において在学契約が成立したものと認められ、被告は、右在学契約に基づき、その教育活動において原告哲史の生命身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務、即ち安全配慮義務を負担するに至つたものと解すべきことは原告主張のとおりである。ところで、右安全配慮義務の具体的内容は、同義務が問題となる当該具体的状況等によつて異なるべきものであるところ、本訴は大学生に対する大学側の安全配慮義務を問うものである。そして大学が、年齢的にも成年前後の、判断能力及び批判能力を一応備えた学生を対象に、学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させることを目的とする(学教教育法五二条)教育機関であることに照らすと、大学生に対する大学側の安全配慮義務の内容及び程度は、右の判断能力及び批判能力が充分でない児童生徒を相手に、心身の発達に応じて、知識の伝達と能力の養成を中心とした教育を施すことを目的とする高等学校以下の普通教育機関における場合に比べて、質的な差があるというべきである。のみならず、本訴は、正課における大学側の安全配慮義務を問うものではなくて、大学生の課外活動における安全配慮義務を問うものである。そして、課外活動については、中学校程度の普通教育機関においてすら、それが本来生徒の自主性を尊重すべきものであることに鑑み、正課における場合に比べて学校側の指導監督及び事故発生防止義務の軽減が認められている(最高裁判所昭和五六年(オ)第五三九号、同五八年二月一八日第二小法廷判決民集三七巻一号一〇一頁参照)ところ、被告大学における課外活動は、前記二において認定判示したとおり、広い意味での被告大学の教育活動の一環として位置づけられてはいるものの、学生の主体性及び活動の自主性がより一層強調され、大学側も最大限これを尊重し、学生による自主的活動を施設面及び財政面等の側面から補助する以外にはこれに容喙しない建前になつている。従つて、以上のような大学の教育機関としての特殊性及び大学における課外活動の高度の自主性に鑑みれば、課外活動における安全確保及び事故発生防止は、課外活動に携わる学生らが自らの判断に基づき自らの責任で自主的に行うことが期待されているものというべきであり、被告(大学側)は、その管理する施設に安全性を欠く状態が生じた場合に危険を除去するなど、施設管理の面から学生の安全を守る義務、及び大学構内における事故の発生を認知した場合にすみやかに救命措置等の適切な事後措置を講じる義務等を負う程度にとどまり、各部における運動技能の練習をはじめ個々の具体的な活動面においては、たとえその活動が一般的に事故の発生につながる危険を伴うものであるとしても、およそ事故発生防止を図る義務を負わないものと解するのが相当である。

これを本件についてみると、本件事故は、被告大学における課外活動としての合気道部の稽古中に稽古が原因となつて起きたものであるが、被告は、合気道部の個々の練習稽古においては、そもそも事故発生防止を図る義務を負つてはおらず、また、前記第二の一8において認定したとおり、被告大学の健康相談室及び学生部に本件事故の発生が通報されて被告がこれを認知した以後は、速やかに救急車を手配して原告哲史を病院に搬入しており、被告のとつた措置にいささかの不手際も見出せないから、被告には、原告主張のような安全配慮義務の不履行はないものと認められる。

四金井教授の指導監督義務

本件事故当時合気道部には被告大学教授の金井信一郎が部長として就任していたこと、及び本件事故当日金井教授は稽古の場に立会つていなかつたことは前示のとおりである。しかしながら、前判示のとおり、大学生の課外活動においては、そもそも大学側に個々の具体的な活動面において事故発生防止を図る義務は存在しないのみならず、金井教授をはじめ体育会所属各部の部長又は顧問の地位は極めて名目的象徴的なものに過ぎないことに鑑みれば、金井教授は、およそ合気道部の練習稽古等の個々の活動において学生を指導監督すべき義務を負わないものと解するのが相当である。従つて、金井教授の過失責任を前提とする原告の使用者責任の主張は、その前提において失当である。

五小結

以上のとおり、被告には安全配慮義務の不履行はなく、金井教授にも本件事故の発生について過失がないから、原告らの請求は、その余の点について判断するまでもなく排斥を免れない。

第四結論

以上判示したとおり、原告らの主位的請求及び予備的請求はいずれも失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官荒井史男 裁判官小田泰機 裁判官西川知一郎)

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